今、ニュージーランドの新聞などでは、Transit of Mercury(水星の太陽面通過)とか、Mercury Rising(水星が昇ってくる)というタイトルの記事が頻繁に見られます。
これは、2019年11月12日(火)の早朝6時〜7時、天気が良ければ、ニュージーランドでは水星の太陽面横断が見られるからです(日本では、残念ながら今回は見られませんが……)。
実はジェームス・クックことクック船長が250年前、はじめてニュージーランドに来た理由のひとつが、水星の太陽面横断でした。
ニュージーランドの遊び方を1000個見つけるブログ 70/1000
Kia Ora! うちだいずみです。
ニュージーランドの遊び方を1000個見つけるブログ、今回はニュージーランドでこの天体現象が大きく取り上げられている理由を紐解いて行きましょう。
(注意! 絶対に、太陽を肉眼や望遠鏡・双眼鏡で直接見ようとしないでください。目を傷つけてしまいます)
水星の太陽面通過とはどういう現象なの?
上の図を見ていただければ分かりますが、太陽系の惑星の中で、地球と太陽の間に挟まっているのは、水星(Mercury)と金星(Venus)だけです。
たまに、太陽・水星・地球の周期が揃い、一直線に並ぶことがあります。すると、水星の影が太陽面を横切っていくところが見られるのです。これを「水星の太陽面通過」と呼びます(これが金星になると、「金星の太陽面通過」です)。
水星の太陽面通過は、1世紀(100年)の間に13回〜14回くらい見られます。金星の太陽面通過はもっと複雑で、1回起こると8年、105.5年、8年、121.5年という間隔で起こります。
水星や金星が「○年○月○日に起こる」というのは、17世紀までに分かっていました(すごい!)。
水星や金星の太陽面通過を観測する理由は?
当時、地球と太陽の間の距離を「1」(これを1天文単位と言う)とすると、金星や水星がどの割合の位置にあるかは分かっていました。
しかし、地球と太陽の距離そのもの(何マイル/何kmか)は分かっていなかったのです。
そこで1716年、イギリスの天文学者でハレー彗星の名前のもとになったエドモンド・ハレーが、世界各地から次の金星の太陽面通過(1761年)を観測して、三点測量の原理で距離を決定しよう、という提案をします。
これは、世界初の国際共同科学プロジェクトでした。
このプロジェクトには、フランス、イギリス、ロシア、スウェーデン、アメリカが協力することになりました。特にイギリスとフランスはインド、東インド諸島、シベリアまで観測隊を派遣し、世界各地60以上の場所での観測が行われました。しかし、正確な測定は難しく、期待通りの結果が出ませんでした。
この8年後の1769年、今からちょうど250年前に、ふたたび金星の太陽面通過が起こることが予想されていました。しかもこの年は、水星の太陽面通過も起こる年でした。
ヨーロッパの国王の間には学問への関心と競争心が高まっていたため、さらに多くの観測隊が援助を受け、世界各地へ旅立ちました。
イギリスからも数名の天文学者がノルウェー、アイルランド、アメリカのハドソン湾へ向かい、さらに南太平洋のタヒチとニュージーランドへも観測隊を派遣しました。
この、タヒチとニュージーランドを担当したのが、キャプテン・クックことジェームズ・クックと天文学者のチャールズ・グリーンだったのです。
ジェームズ・クック「秘密任務」でニュージーランドに発上陸
イギリス王立協会から「金星の太陽面通過を観測せよ」という任務を負い、ジェームズ・クック海尉の率いるエンデバー号は、1769年4月にタヒチに到着。ここで観測をするために3ヶ月滞在します。
6月6日、見事に空が晴れ、クックらは金星の太陽面通過の観測に成功します。しかし残念ながら、望遠鏡の精度などのため誤差もあり、この観測からは、地球から太陽までの距離はまだ正確にはわかりませんでした。
金星の太陽面通過が終わっても、まだクックらの任務が終わったわけではありません。
実は、金星観測が済むまで開けないようにという条件つきの「追加秘密任務」を海軍省から渡されていました。クックは、観察直後にその命令を開封します。
そこに書かれていたのは、南太平洋を探検して、伝説のテラ・アウストラリス(未知の南方大陸)を他の欧州諸国に先駆けて探し出し、イギリスに富をもたらす、というものでした。
エンデバー号は比較的小さな船だったので、太陽面通過を名目としておけば、他の国を出し抜けるのではないか、という戦略だったのです。
クックは、トゥパイアという南太平洋を知り尽くしたタヒチ人ナビゲイターを雇って乗船させ、ニュージーランドへ向かいました。
マーキュリー湾のクックビーチで水星観測
ニュージーランドには、1642年にアベル・タスマンが上陸していましたが、それから100年以上白人は来たことがありませんでした。
10月初頭、エンデバー号は北島ホークスベイ地方のポバティ湾(Poverty Bay)を見つけます。乗船員は、上陸して水や食べられる植物を補給しようとしましたが、ここで遭遇したマオリ族のひとりを追い払おうとして、誤って殺してしまいます。
さらに南下し、11月6日にコロマンデル半島に到着したエンデバー号は、9日に起こるはずの水星の太陽面通過の観測に適した場所を探します。そして、マオリ人が「ヘイの大きな湾(テ・ワンガヌイ・ア・ヘイ)と呼ぶ大きな湾内を選びます。
1969年11月9日、早朝5時から6時にかけての晴れ渡った空で、クックらは水星の太陽面通過を無事に観測することができました。
クックはこの湾を「マーキュリー湾(水星湾)」と名付け、実際に観測を行なった場所は「クック海岸(Cook’s Beach)」と呼ばれています。
この時の観察が元となり、ニュージーランドの位置は世界地図上に正確に記されるようになりました。
そして6日後の11月15日には、マーキュリー湾に英国の旗を掲げ、当時の英国国王ジョージ3世のものと宣言したのです。
マオリ族から見たクック、そして現在
クックは、その後も南下し、さらにニュージーランド東海岸も回って、これが大陸ではなく、島であることを発見、オーストラリア東海岸も発見したのちに帰国します。
当時、マオリ族の人々は、ヨーロッパ人を超自然的な存在、祖先、あるいは遥か昔の祖国ハワイキから来た人々と考えました。しかし、マオリ族とヨーロッパ人の間には、数々の誤解などがあり、双方に命を落とすものもいました。
タヒチから乗船したトゥパイアが通訳をして仲介してくれたことが大きな助けとなって、旅はなんとか続けられたのです。
また、マーキュリー湾で見られるように、クックの目的は新たに「発見」された土地を英国領土とすることでしたので、先住民族マオリ人にとって、クックは侵略者としても見られています。
当時のマーキュリー太陽面通過も、クックたちはマオリ人に知らせませんでした。マオリ人は、ポリネシアを渡ってきているので、当時すでに独自の天文知識がありましたが、それを白人と分かち合うこともありませんでした。
その当時のことを反省し、今年250年目の今年は、マオリ族の天文知識と歴史、そして西洋の天文知識を分け合おう、という全国的なイベントが開催されたのです。
250周年は徹夜のスターウォッチング! 500周年は?
来たる11日には、いよいよ水星の太陽面通過前夜祭ということで、クックが観測したクックビーチに望遠鏡などが持ち込まれ、日没後から夜明けまで、天体学者とともに徹夜でスターウォッチングをしよう、というイベントが行われます。
そして、12日早朝には、太陽面通過が見られるはずです。
私も行きたいなあ! オークランド周辺の方、誰でも参加できるそうなので、いかがですか?
クックビーチに行けない皆さんは、自宅で観察という方法がありますが、肉眼あるいは双眼鏡等で直接太陽を見ると失明する恐れがありますので、絶対にしないでください!
こちらのサイトに、太陽を安全に見る方法がまとめてありますので、どうぞ参考になさってください。
そしてそして! なんと今から250年先、クック観察から500周年の2269年にも、水星の太陽面通過をニュージーランドから見られるそうです。なんか、運命的ですね。
その時の地球はどうなっているのかなあ? 人類も無事に生き残ってるでしょうか? ちょっと想像もつきませんが、過去、そして現在からの学びを大事にしていかなくては未来はないですよね!
今日もお読みいただいて、ありがとうございました(^^)
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